美女と野獣に見られるリベラルバイアスについて
今日は大和高田のハローワークに行って、紹介状をもらってきた。応募企業に宛てて履歴書等とともに送るものね。今回応募するのは障害者枠かつ未経験者okのプログラマー求人。そんなにいい話があるのかと、驚いた。さっそく応募してみよう。
今エマ=ワトソン主演の美女と野獣を鑑賞中。最近のディズニー映画はみんなそうだけど、これもリベラルバイアスがすごいな笑。
リベラルバイアスとは、と聞かれると説明が難しいけど、「これまで差別されてきた人たちも仲間にしようぜ!」ていう方向性のもとに映画が作られているように思えるの。
主役にエマ=ワトソンを起用してるところからしてそうだけど(彼女はフェミニスト)、冒頭の舞踏会のシーンから踊る女たちの中に黒人女性を紛れ込ませていたり、エマ演じる美女、ベルも進歩的な女性として描かれていたり(本好きで狭い村社会から抜け出して広い世界に出たいと思っていたり、子供は産まないと言ったり)。
これはアナと雪の女王やラプンツェル、マレフィセント等にも見られる傾向ね。さすがいつの時代も夢を与えるディズニーは思想も進歩的なのね。ディズニーだけでなく、スターウォーズや最近のスピルバーグの映画、レディプレイヤーワンもにもリベラルバイアスは掛かってた。
何より物語であってもこういう話が出てくるところが違うよなぁ、と思う。背後にキリスト教的正義感があるからかしら。
こっちだとリベラル的な物語なんて全然無いもの。どんどんバトルロワイヤル的な殺伐とした話が増えているし。もちろんマスコミが商業目的で醜いものばかり流してるってのもあるだろうけど、需要が少なければ供給もされないよね。やっぱり仏教的シニシズムの影響なのかな。どんだけ社会正義が嫌いなんや、ていう。
先に書いたレディプレイヤーワンは最近劇場に観に行ったのだけど、欧米人がいかにみんなが納得するようなフィクションの構築が上手いか、ということに感心した。自由・平等・博愛を建前としてではなく、本気で信じたからこそ、実現してきたのではないかしら。
映画も終わったしそろそろ失礼するわ。