まどマギは日本の倫理的課題の詰め合わせだ
こんにちは☔️
今日の奈良県橿原市は道路の汚れも綺麗さっぱり洗われてしまいそうなほど見事な大雨ね。
あなたの住む地域はどうでしょうか?
さっそくテーマの話だけど、最近彼と朝ごはんタイムに魔法少女まどかマギカを観てて思ったこと。
これは、日本の倫理的課題を詰め合わせにしたような作品だわ、ということね。
物語はまどかとさやかがキュウべえに魔法少女としてスカウトされ、同じく魔法少女であるマミと出会うところから始まる。この3人は仲間として協力し合う。
そこに同じく魔法少女でありながらまどか達と敵対する杏子、立ち位置微妙なほむらが登場する。
あたしが観た第6話は、事故に遭った幼馴染を救うために戦うさやかと、
同じ魔法少女でありながら競争相手としてさやかを攻撃する杏子、
利己的過ぎる杏子にやむを得ず応戦するさやかに「同じ魔法少女なんだから話せば仲良く出来るはず」と、綺麗事を押し付け余計さやかを苦しめるまどか、
「優しい人は生き残れない」と言う悟り系のほむら、という各々の関係性を描いた回だった。
この滑稽な構図、どこかで見た事がある。
そう、楽しいからと同級生を虐げるいじめっ子、
それに反撃するいじめられっ子、
いじめられる方が悪いと開き直る傍観者、
「クラスメイトなんだから話せば分かり合えるはず」と頭ごなしの道徳観を押し付け子どもを絶望させる担任教師、という構図だ。
こういう状況、あなたも見覚えがありませんか?
何がどう問題なのか、詳しく見ていくわ。
まず、まどかの言動は学校でよく見られる、子どもの反論を許さない道徳ファシズムによるものだと思うわ。
一見「良いこと」のように聞こえる道徳を被害・加害の関係を無視して被害者に押し付け、被害者の罪悪感を煽るのはモラルハラスメントとさえ言える。
また、加害者ではなくまず被害者を抑圧することで、加害者を調子に乗せて、加害を助長さえしてしまう。
今の日本で非常によく見られる倫理的課題だと思うわ。
何故まず加害者の方を諌めないのか、先に悪いことをした方は一切無視で、傷ついている被害者に努力を要求しようとするのか。
力のある加害者の方を諌めるだけの勇気がない、加害者に反撃された場合のリスクを恐れており、弱い被害者に努力を要求する方が自分まで被害に遭うリスクがなく、ラクに事態を収拾することが出来るから、としか思えないわ。
道徳ファシズムはそれを言う人の弱さ・ずるさを覆い隠し、まるでモラルの高い人格者であるかのように仕立て上げる、非常に下劣な思想で、あたしはそのインチキぶりが大嫌い。
学校の先生がよく使う手だから、学校の道徳教育に責任があると思うわ。
また、ほむらの性悪説と優生主義の一体となったようなシニシズムは、開き直って善悪をはっきり正そうとしてこなかった日本仏教の責任だと思うわ。
「良い人は弱いから生き残れない、強くて悪くならないと生き残れない」という厭世観も、日本でよく見られる倫理的課題ね。
これは浄土真宗の「悪人正機」説が「悪人は正しい」という意味に取り違えられてしまったことに由来するのではないかしら。
杏子は以上のどちらも裁いてくれないから増長するサディスト、さやかは第3者からセカンドレイプにまで遭う被害者、という周りが馬鹿なことで放置される加害者・被害者の関係性ね。
道徳的ファシストはもっと被害者の訴えを聞き入れ、必要なら加害者を処罰すべきだし、仏教的シニシストは、開き直りを反省して善悪をはっきり正すべき、ね。
言いたいことは以上。
ちょっと難しく書きすぎてしまったと思うから、分からないところは質問してね、読者さん。